光線療法の歴史

古代から太陽は崇拝の対象とされてきました。

 

史実において紀元前2000年の古代エジプトからはじまり、インド、ギリシャ、ローマ帝国、ヨーロッパ全土において1,900年代初頭まで実に4,000年もの間、日光の恩恵を尊び、日光療法が行われていました。

 

地球誕生から46億年変わらないのは

太陽こそが地球に生命を宿らせ

生きとし生けるものの存在足らしめているという事実。

太陽を失えば一瞬たりとも人は生きることが許されません。

 

日光(光線)療法は世界において以下の歴史的事実が確認されています。

 

🎓紀元前2000年頃 古代エジプトは太陽神ラーを信仰し、国王をはじめ盛んに日光療法が行われていた。

 

🎓紀元前1400年頃 古代インドの聖典ベーダに紫外線の感受性を高める光感作物質ソラーレンを使った白斑治療の記録。

 

 ※近年の尋常性白斑・乾癬の治療法のPUVA療法(Psolarenソラーレン、UVA:UltraVioletA長波紫外線) の原型。

 

🎓紀元前1350年頃 ツタンカーメン王の父と王妃が日光浴を楽しんでいる彫刻版が発掘。ファラオは太陽の子という意味。

 

🎓紀元前1000年頃 古代ギリシャで太陽光線を治療用の光源として日光療法を行った記録。

 

🎓紀元前400年頃 アレキサンダー大王が哲学者ダイオゼネスに『何か望むものはないか』と問うと『そこをどいて日光浴の邪魔をしないでください。』と答えた逸話が残されている。

 

🎓紀元前460年生まれの現代の医聖ヒポクラテスはギリシャのコス島に日光療法を本格的に医療の現場に取り入れた健康大寺院を建立し次の言葉を残した。

『日光の光と熱は、すべての創傷、殊に開放性骨折、破傷風等に効果がある。』

『筋肉の強壮を期する人には日光浴が絶対に必要である。しかも春夏秋冬必ずその直射を受けねばならない。ただし夏季には虚弱な人は過度にならないように注意し、主として背部を曝し、頭部は必ず何かで覆わねばならない。』

『脂肪性の肥満をした人は、できるだけ裸で歩き回るのがよい。』

 

🎓紀元前300~200年頃 古代ローマの浴場には日光浴室が、各家庭にはソラリウムと呼ばれる日光浴室が必ず設けられていた。

当時の博物学者ブリニーの言葉『太陽は最良の薬である。Sol maximum reme-diorum est.』

ナポリ地方の諺『太陽の来ない家には医者が来る。Dove non va il sole,va il medico.!』

 

🎓紀元前200~150年頃 日光療法の父と呼ばれた医師ヘロドトス、医師カレヌス、外科医アンチロスらによって日光療法が盛んになり次の言葉が残された。

『如何なる患者もなるべく日光にあたるようにすべきである。傷は新しい古いにかかわらず日光に曝すが良い。また動ける患者はもとより、寝たきりか座ることしかできない患者も、布団や毛布の上に寝かせたりして、できるだけ日光にあてなければならない。患者に日光浴ををさせれば、内臓の分泌作用が高まり、発汗を増し、筋肉を強くし、脂肪の蓄積を防ぎ、腫瘍を縮小し浮腫みを減ずる。また呼吸は深く活発になるから胸部が狭い人は拡大し、肺臓を強くして肺の病気には好結果が得られる。実際に日光浴をさせる際に注意することは、便通をよくして腸を空虚にし、頭を覆う事である。』

 

🎓1377年 ヨーロッパ全土を襲ったペスト流行時、日光消毒が盛んに行われた。

 

🎓1815年~ 科学者・医学者らによって、日光療法の適応症『クル病、壊血病、リウマチ、麻痺、腫脹、水腫、筋力低下』、赤外線、可視線の効用が認められていった。

 

🎓1857年 看護婦の母、フローレンス・ナイチンゲールはクルミヤ戦争の戦傷病兵を屋外に移して治療効果を上げた経験をもとに、イギリ ロンドンのネトレー病院が日当たりを良くするよう主張し改善させた。

 

🎓1877年 イギリスのダウンスとブラントによって太陽光線に殺菌作用がある事が発見され、ストゥレーベルによって紫外線に殺菌作用があることを明らかにしたのを契機に日光療法が飛躍的に発展。

 

🎓1893年 デンマーク生まれのニールス・フィンゼンが世界で初めて太陽光線と同じ連続スペクトルを放射するカーボンアーク灯(フィンゼン灯)を考案。

オーストリアのウィーンでそれまで不治とされてきた尋常性狼瘡(結核菌が直接皮膚を侵し組織を破壊する結果、オオカミに咬まれたような傷になる)を専門に扱う病院を開院し、光線療法によって治療成績を収めた。

この功績により1903年ノーベル医学生理学賞を受賞。

 

※今回導入した光線治療器に採用されているカーボンアーク灯です。

 

🎓1902年 スイスのベルンハルトによって結核性腫瘍の局所的日光療法に顕著な効果。

 

🎓1903年 スイスのロリエ博士によって局所的日光療法を全身の日光療法を併用し、殊に外科的結核に目覚ましい効果を挙げた。

 

🎓1906年 クロマイエルが紫外線を単独に放射する紫外線灯(水銀石英等)を作成。

 

🎓1922年 マックコラム タラ肝油中の脂溶性物質がクル病の治療効果を発揮する事からビタミンDを発見。

 

🎓1927年 ドイツのゲッチンゲン大学アドルフ・ウインダウス教授が骨を弱くするクル病に対し、紫外線によりヒトに生成されるビタミンD3の合成法を完成しノーベル化学賞を受賞。

 

 

 

光線療法とは

※出典・引用 光線療法学 原著者 宇都宮義真 改訂者 宇都宮光明医学博士


光線療法の原理となるカーボンアーク光線は1903年ノーベル生理医学賞受賞したデンマークのニールス・フィンゼン博士が発明し、日本においては昭和7年に宇都宮義真博士が監修し80数年の歴史があります。

 

日本では昔より太陽を大日如来、お天道様、日の神、天照大御神として信仰し、男は日子(彦)、女は日女(姫)とし太陽の子としてきました。

 

 

美容クリニック・医療現場でつかわれる電球、蛍光灯、レーザー、LED、キセノン照射などは、単独の治療目的に、単独の波長帯を使用するのに対し

カーボンアーク光線は、太陽光同等10万種以上の連続スペクトルを産み出します。

 

その相互作用により、体内で数百種類の生理活性物質の産生が促され、自律神経・ホルモン分泌・免疫系の調整、血糖・血圧・血液凝集作用の調整、ターンオーバー促進、脂肪代謝、老廃物・有害物質の排泄、便通・睡眠の改善、お顔にはハリが出てシワの、頭部は薄毛が改善、あらゆる痛み・痒みの低減、疾病の改善など様々な効果が認められています。

 

製造は精密機器の一部上場企業のイビデン社(岐阜)で、医薬品医療機器等法に定められた安全性・有効性を認められ厚生労働省が認可した家庭用医療機器となります。

 

🎓光線療法の効果・事例(日本光線療法協会)

  

🎓2016年 紫外線がDNA損傷を光回復作用によって治す事が解明されています。

名古屋工業大学大学院 紫外線によって損傷したDNAを光で治すタンパク質の機能を人工的に転換することに成功

 

🎓化粧品・薬に含まれる化学物質が光線過敏症、ひいてはシミ・しわ・ニキビなど肌トラブルの根本原因になっている事が医学的事実として解明されています。

化学物質による光線過敏症

 

🎓日光を浴びるとビタミンD3が産生される際、お肌に赤みでたり、ターンオーバー(オートファジー)が進み皮膚の剥離が進みます。

 

🎓日光で体内に産生されるビタミンD3の代わりに食品からビタミンD2を摂る場合の1日の食品あたりの摂取目安量は・・・乾燥きくらげ1個、乾燥しいたけ半分、舞茸2パック、エリンギ7本、えのきたけ10袋、ぶなしめじ17袋、原木栽培の生しいたけ22個、あんこうきも生10g、しらす干し小小さじ1杯、生べにざけ半分、生まいわし半分、生しろさけ半分、生にしん半分、生卵Mサイズ3個、うずら生卵4個、牛乳コップ29杯、パルメザンチーズ255g、カマンベールチーズ・モッツァレラチーズ765gとなっています。

 

🎓お腹まわりは内蔵・脂肪細胞を温めデトックス・スリミング効果があります。

 

🎓普段日光にあたっていないお腹・背中など皮膚防護層ができていない時はひりつき、皮むけ、発疹、があったり、関節痛などは痛みが、感染症感染時には発熱が一時的に増す事があります。 

  

 

日本における光線療法の第一人者、宇都宮義真博士と歩んでこられたDr.purbeate社長の対談もご参考にご覧ください。

 

参考:賢者の美容 ラグラン様&Dr.PUR BEAUTE山梨社長の対談

 

参考:愛知エスペランサ様